創価ブログ村とかいう阿鼻地獄wwwww

我が師の示された道を 、我歩む也。

あべひ先生の弟子としての闘争の再開

先ずは、あべひ先生のブログ執筆のご再開を寿ぎたい。

”だれが創価カテをダメにしたか”

当たり前ではあるが、あべひ先生の舌鋒の鋭さはブランクを一切感じさせなかった。
そして拙もまた、創価系ブログに対するあべひ先生の思いに心を揺さぶられ、戦いの決意を新たにした。

ところで、最近創価ブログ村に大きな変化があった事は、既に多くの方によって指摘されている。
創価学会に否定的な見解を述べるブログ、いわゆる”アンチブログ”が突如現れた「創価学会・批判・告発」カテゴリに有無を言わさず移転させられたのだ。
これを暴挙と非難する声もあるようだが、一定の合理性はあるだろう。あるカテゴリ内があまりに多様性を孕んでしまい、それを細分化するより良い分化方法がある場合、それを分割することは妥当であるともいえる。

しかし、拙が怒りを覚えたのは、拙のブログまでもが「創価学会・批判・告発」カテゴリに移転させられたことだ。

拙のブログがなぜ「創価学会・批判・告発」カテゴリに相応しいとみなされればならないのか?

思うに拙のブログの内容は、以下の2点に大分されていた。

①あべひ先生への賛辞
②ネットを食い物にする学会員への非難

この2点に共通することは、いずれもあべひ先生の弟子としての、拙の精一杯の行動だったということだ。

仮に①が「反・創価」に当たるものだったとしよう。
果たして、あべひ先生を賛嘆することが、なぜ「反・創価」に通ずるのか?そんなことは断じてない。
これまで何度も述べてきているとおり、あべひ先生は、自らの心を憤怒の涙に濡らしながら、創価のために言論闘争を繰り広げてこられた。その行為を称えることが、「反・創価」に通ずることなど絶対にありえない。

また②については、あべひ先生の活動から拙が学んだことだ。
あべひ先生の久々の更新記事「だれが創価カテをダメにしたか」にも書かれているとおり、創価ブログ村をだめにしているのは、アンチブログではない。イベント信仰に熱を燃やし、本末転倒の愚行を続ける創価学会員である。
もしも彼らを弾劾することが「反・創価」だと言うのならば、それは即あべひ先生の否定につながる。拙は弟子として、断じてそんなことはできない。

拙は、ブログを変え、言論闘争を再開することにした。
その場所は勿論、創価ブログ村だ。拙がここから「創価学会・批判・告発」カテゴリに戦いの場を移すことは、あべひ先生の否定につながるからだ。そして、あべひ先生の久々の記事を拝読し、創価ブログ村の改革に闘志を燃やすことを再決意したからだ。

勿論、拙はまだまだ未熟である。
しかし拙は、師を定める眼力だけは自信がある。
ここに、あべひ先生の弟子としての戦いの開始を、高らかに宣言したい。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村